内と外 2011 6 12

書名 世界の変化を知らない日本人
著者 日高 義樹  徳間書店

 多くの日本人は、普段は、
日本が島国であることを意識していないので、
それが様々なメリット・デメリットを生むことにも気づいていないでしょう。
 さて、今回は、第一章を取り上げましょう。
「アメリカは、原発事故をどう見ているか」
 日本では、東京電力が原発事故を起こしたことで袋叩きにあっていますが、
これには、大いに違和感があるということです。
 そもそも、民間企業というものは、
「あくまでも利益志向で、
利潤追求のために経費を切り詰めようとする」のが自然な行動である。
 だからこそ、規制当局は、もっと大きな見地から、
安全性を考えて許可を出さなければならないというのが、
アメリカ的な考え方であると指摘しています。
 つまり、今回の原発事故問題の核心は、
アメリカで言えばレギュレーター、
日本で言えば監督官庁の許認可に問題があったという見方であるということです。
 私も、この考え方に賛成します。
結局、この問題は、
規制する側が、規制される側に取り込まれてしまったということに尽きると思います。
 日本では、企業に対する考え方が、「あいまい」だと思います。
基本的に、民間企業というものは、特に株式会社というものは、
最大の存在目的が、「利潤追求」にあります。
つまり、「利益のためならば、何でもやる」のが、企業であると考えるべきです。
 会社とは、株主のものです。
だから、会社は、利潤追求、株価アップ、配当増配などを考えなければならないのです。
 それなのに、「会社は社員のものだ」とか「いや、社会のものだ」とか、
文化論を振りかざすからこそ、会社の存在自体が「あいまい」になってしまうのです。
つまり、責任の所在も、「あいまい」になるということです。
 結局、誰も責任を取ることなく、月日が流れていくことになります。
もちろん、これは狭い島国で仲良く生きていくための知恵かもしれません。
ただし、こうした考え方は、国際社会では通用しません。
 ここは、民間企業というものは、
「あくまでも利益志向で、利潤追求のために、
安全のための経費までも切り詰めようとする」とシンプルに考えて、
規制当局は、常に公共性や安全性を最優先に、
許認可あるいは監督行政を行わなければならないとする方が、責任の所在が明確になります。
 もっとも、規制当局としては、
かつて、お世話になった大先輩が、規制対象企業に天下りしているので、
あるいは、政治家の陳情が相次いだので、
規制や監督が、まともにできなかったという特殊事情があります。
 こうした問題は、昔、大蔵省銀行局と銀行に間にあった「特殊関係」によって、
銀行規制や監督が、まともにできなかったという歴史を思い出させます。














































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